転生したら一寸の虫にもゴブリンの魂だった件について
「この虫けらがっ!」と、上司であったり怖いお兄さんであったり、お金を払ったはずの女の子であったりに言われたことは、諸兄にも一度はあるでしょう。
否定しても無駄です。だってそんな奴しかこんなタイトルに引き寄せられて飛んで火に入る夏の虫。
さてゴブリンと虫けらの話どちらにしようか迷いましたが、今日は虫けらの方にしましょう。「今日は」とは言いましたが今後永遠にゴブリンについて語るつもりはありません。
そもそも虫けらの「けら」って何だか知っていますか。深く考えたことがないだけでみなさん知っているはずです。
ミミズだってオケラだってアメンボだって、みんなみんな生きているんだ友達なんだ。
そうこのツッコミどころ満載過ぎてインドの通勤列車みたいになっちゃってる偽善ソングに出てくる「オケラ」こそ、虫けらの「けら」だと言われています。つまり「虫虫」ですね。「サハラはアラビア語で砂漠って意味だから、サハラ砂漠は砂漠砂漠なんだぜ。」って中学生くらいの時5人くらいから聞いたアレと一緒ですね。その話を聞くたびに「じゃあお前は今後サハラ砂漠の話をしたいときに二度とサハラ砂漠と言うなよ。サハラもしくは砂漠と必ず言えよ。」と言ってしまった私も若かった。万が一彼らが私の言を守り続けているのならば本日ここに解放を宣言したい。使っていいよ、サハラ砂漠。
話がだいぶそれてしまったがそもそもの話は虫けらである。Wikipediaで調べてみると
所持金がない状態を「おけら」、遊泳、疾走、跳躍、飛翔、鳴き声、穴掘りなど多芸だがどれも一流の能力でないとみなして器用貧乏な様を「おけらの七つ芸」、あるいは「けら芸」という。
子供のおもちゃとしては、掌に握り込むと前足で指の間などをかき分けようとするのを喜ぶ、というものがある。これを両手を広げる動作に結びつけてはやし立てる遊びもある。
酷い言われようである。日本人はオケラに一体何の恨みがあるというのか。オケラをおもちゃにしてケラケラと笑う。ケラケラケラ。虫虫虫。蠱毒の完成である。
不覚にも生まれ変わったらなりたくない生物ナンバーワンがミルワームからオケラに移ってしまいそうになる。まあ、どっちも虫だし変わらないか。ミミズだってアメンボだって友達じゃないし。蠱毒の材料として一緒の箱に入れておこう。
そうして天に登っていった怨嗟の塊は一寸の虫にも五分の魂。
転生したらゴブリンくらいにはなれるのかしらん。
絵の練習の話
臥薪嘗胆という言葉がある。
「臥」は臥して寝ること。「薪」はたきぎの王グウィン。「嘗」はなめること。「胆」は苦い肝のことを指す。なんか今パリィで殺せるラスボス通らなかった?
意味は「将来の成功を期して苦労に耐えること」。
語感といい、意味といい実にかっこいい言葉である。
以上。
というのは冗談で臥薪嘗胆には程遠いまでも、絵がうまくなるためにどういった練習をしてきたのかちょっくらおじさんの昔話に付き合ってくれよ。へへっ。
そこの「お前そもそも絵うまくないじゃないか」といった少年。君は「王様は裸だ!」と言える真の勇気の持ち主だ。後で処刑台に上がりなさい。
とはいえ私も特別な練習法を持っているわけではなくてですね。私が右腕を食った神絵師の人達が言うように、
・同じ構図ばかり描かない(ちょうい左向きの胸から上とか)
・人体の構造を把握する(解剖図など)
などなど。
全部やってません。
めんどくさいから。
でもただひとつ、ただひとつだけ私にも他の人と比べて「やってんな!こいつやってんな!」と思うことがあります。
ここ十年?十五年くらい?
絵を描かなかった日は一度たりともありません。
漫画のセリフを考えなかった日は一度たりともありません。
どんな落書きでもいいのです。模写でもいいし、なんならトレスでも良い。
気が乗るなら何時間もガッツリ描いていいし、調子が悪いなら十秒でいい。
でも毎日描く。
そうすると技術の向上はもちろんのこと、なにより自分に誇りが持てる。
世の中にわたしより絵が上手い人は五億人くらいいます。でも、その中で私が一番好きな絵は、私が描いた絵なのです。
「王様は裸だ!」
私は今から処刑台に向かいます。
コントローラーが壊れた
PS4のコントローラーが壊れた。約一年ぶり3回目である。
ついでにSwitchのJoy-Conも壊れた。こちらは4回目。任天堂法務部に堂々と真正面から不意打ちする準備はできている。
私はまあとにかくボタン、というか「押す」ものをよく壊す。
コントローラーは前述の通りだし、マウス、左手デバイス、キーボード…
数え上げたらキリがない。
まあこれ以上思いつかなかったからここで切り上げたんだけども。
壊れる理由はわかっている。
押す力が強いのだ。
古代のギリシャだかエジプトだかのお話で、百戦錬磨の無敵の王がそのあまりの力ゆえに子供だか妻だかを握り殺したんだか殺しかけたんだかで、孤独になったんだか最後はハッピーエンドだったかである。
彼と同じ気分だ。
情報がふわふわしすぎていて意味がわからないのは私のせいではありません。他人を責める前にまず自分の読解力を疑ったらどうですか。賢者は自分の過ちを認めるものですよ。私は悪くありません。
まあとにかく私の指の押す力と言ったら相当なもんです。
よくエンターキーをッターンとする人がいるでしょう。私の場合すべてのキーがそれ。ここまで打った文字一つ一つがッターン!ッターン!ッターン!でできています。キーボードというものが発明されて何年経つかは知りませんが、文章を打っているだけで壁ドンされた人類は私くらいのものでしょう。すると自動的にキーボードの打音に壁ドンしたのも隣人くらいのものでしょう。世界で唯一が隣同士に住んでいる。これってすごい奇跡だと思いませんか。
ちょっとでも「確かに」と思った人は連絡下さい。持ってるだけで幸せになる壺とかなんかすごく良い洗剤とか売ってあげるんで。
そんな平成の破壊王えなみ教授ですが予想通り筆圧も強い。相当強い。
鉛筆やシャーペンなんかはバキバキ折れるし、ボールペンは紙を突き破ります。
何なのかしらこの子。どこかおかしいんじゃないかしらん。
トリビアですが「どこかおかしい」と言われた場合の「どこか」は99%の確率で脳みそです。
直そう直そうとは思っているんですよこの癖。でもやっぱりどこか壊れてるんでしょうね。
どこかって?
脳のコントローラーですよ。
エヴァンゲリオンを見てきてない
私はエヴァンゲリオンを見たことがない。
鬼滅の刃も読んでいない。
進撃の巨人も読んでいない。
別に「俺は流行りものとかキョーミねえから」みたいな斜め45°のちょうどいいスキージャンプ台になりそうな思考回路をしたサブカルクソ野郎という訳ではないのだ。
正直に言うと実はちょっとサブカルクソ野郎だし、エヴァも破だけ見た。
でもそれは些末な問題なのでここでは追及しないものとする。
私が流行りの物語に触れないことには理由がある。
私は呪われているのだ。
まだ電話機に手を伸ばすのは早い。その1と9に置かれた指を今すぐ離しなさい。
かと言って知り合いの霊能力者を紹介しようとするのもやめなさい。そんな君に今なら持ってるだけで幸せになる四十五億年前から地球のどこかには成分のして存在していたであろうこの石が198000円。
とにかく私は呪われているのだ。その私を呪っている何かによって、私は悉く流行というものに乗り遅れ、皆が下車を始めた時遠くからまだそれを眺めている。
そしてその呪いとは、私に限った話ではないのだ。いつ、いかなる時も、あなたの喉元を狙って牙を打ち鳴らしている。そんなあなたに持ってるだけで幸せになる石198000円。
それは、あなたの隣人であるかもしれない。
それは、あなたの家族であるかもしれない。
それは、あなたそのものであるかもしれない。
それの名はーーーー
ネタバレ。
さあ119を押すがいいさ。ただし自分が被害にあったことも、加害したこともない者のみ救急車を呼びなさい。きっと救急車を呼べるのはキリストだけでしょう。あっ、ダメだあいつは預言者だからネタバレ厨の権化だ。
ともかくそうなのだ。私が人より少し波に乗るのが遅いばかりに、聞いてもいないのにどこからともなくライナーが鎧の巨人の正体だったり、煉獄さんは負けてなんかなかったり、シンジくんはアスカでオナニーしてたりするのだ。最後のは私もしている。
大体現代人はネタバレに対する罪悪感と危機感に甘過ぎるのだ。平和ボケなのだ。バカボンのパパなのだ。
もはや私の親友と呼んでいいであろう安藤氏について、特にそれは気をつけねばならない。彼は目をつけた作品の情報を遮断するために人間関係そのものを閉ざす。インターネットも切断する。その様は、さながら天の岩戸に閉じこもった天照大神を彷彿とさせる。させない。
そんな彼が情報遮断中、唯一コミュニケーションを取るのが私の役割であった。前述の理由で流行りものに疎い私ならば、一緒にいたところでその話題が出ることはないだろうと。
そう思っていた。
思ってしまっていたのだ。
私こそが姿の見えぬ暗殺者だと知らずに。
その時、「君の名は」が流行っていた。そして安藤さんは映画(特にアニメ)が好きなので、公開から一ヶ月近くたった今、当然既に観に行っているものだと私は思っていたのだ。
当の私はといえば当たり前のように同級生の友人にネタバレをされてオチも何もかも知っていた。だからつい言ってしまったのだ。
「「君の名は」って俺観てないですけど、話だけ聞くとオーロラの彼方へにそっくりっスよね。」
時が
止まった。
ここで起こった不運は3つ。
ひとつ、仕事が忙しく、安藤さんはまだ君の名はを見れていなかったこと。
ふたつ、無名ではない、が、さして有名でもないオーロラの彼方へを安藤さんが鑑賞済みであったこと。
みっつ。安藤さんの察しが、思った以上に良かったこと。
こと3つの不運が重なり合った結果、彼の脳内はパワフルパワフルパワフル全開なあみさえおバカな一日元気だぞ。
過呼吸を起こして倒れた。
人は、情報で殺せる。
私は親友を失った哀しみに、ぽっかりと空いた穴を埋めるべく歩を進めた。
その時の穴を埋めたこの石が今なら198000円。
というわけでこの国にネタバレ禁止法を施行しよう。死人が出てるんですよ、こっちは。
もちろん口で「あいつがネタバレした!」という証言だけでは証拠になりません。録画、録音、魚拓、Photoshop、なんにせよ確固たる証拠のもとにネタバレ罪を受けたものは今後一生全ての物語をオチから読まなくてはならない。これは死刑の次に思い罰です。恐ろしい。
……今気付いたんだけど、私この罰受けてる?
4コマの更新は今週します
お金の価値
電子マネーが台頭してきた近代社会ですが、ここでひとつそもそものお金の起源というものを考えてみましょう。
皆さんはお金、つまり貨幣の起源はなんだと思いますか?
そう、物々交換ですね。
違います。騙されたな。投げ銭をしろ。
冗談はともかく最近の、というよりかなり昔からなんですが貨幣の起源に物々交換は関わっているにしろ直接「物々交換」→デジモン進化→「ウォーグレイモン」間違えた「貨幣、つまりお金」になったというわけではないのです。
これは物々交換という制度の欠点から推察することができます。
たとえばりんご100個と金塊1Kgを交換するとしましょう。これは我々現代人からすると明らかに釣り合いの取れていない取引です。
しかしりんごを差し出した方は食料に恵まれ美しいものに価値を見出す民族。
金を差し出した方は月明かりでも干からびる大地しか持たない、いわば金に対してなんの価値も見出していない民族。
こう考えるとこの取引は公平であるように思えます。
公平であるわけがありません。騙されたな。投げ銭しろ。
りんごと金は希少性から考えて明らかに釣り合いの取れていない取引です。つまりこの場合、りんごを差し出した民族が金を持っている民族を騙したということになるわけですね。
しかし金の民族も黙っちゃいません。取引を重ねていくうちに金というものの価値が分かってくるのですね。
そうなるとりんごは困ったものです。いままでウハウハだったが取引先が見つからない。投げ銭返せ。
更に金とは違いりんご、つまり食物は腐るものです。一週間も取引相手を探していれば自分の商品は使い物にならなくなってしまうでしょう。
そこで登場するのが引換券または借用証書、つまり今日の貨幣です。
りんごを持つ人はりんごを欲しい人を探すのではなく、仲介する人のもとに商品を持っていって紙っぺらで自分の財産の証明を始めたのですね。
そう考えるとお金というものが如何に重要で、得難いものかわかるのではないでしょうか。
小学生の時分、母は私と遊歩道を散歩しながら言いました。
「お金を稼ぐのはね、それはそれは大変なことなんやで。一日中下を向いて歩いていても一円ひとつも落ちとらへん。だからあんた、お父ちゃんにちゃんと感謝して、今日はかたもみでもしたりぃな。」
私はその30秒後五千円札が落ちているのを見つけました。
あのときの母の表情はいまだに忘れられません。
先輩
以前勤めていた会社の先輩に海ちゃんという人がいた。
海ちゃんはとても人好きのする好青年で、車の中でから女子高生を見かけると「おい!JKだJKだ!JKと俺のちんこが同じ空間に存在してるぞ!」と言いながら、窓に顔を張り付かせ風魔法の詠唱を始めるタイプの人だった。
彼のことを好青年と表現したことは撤回しよう。
そんな腕白ボーイなのでいつかはオフレポに、と思っていたが彼が日の目を見る前に私がオフレポを描く機会(機会、機会である。決してやる気ではない。)がなくなってしまった。しかしブログという媒体を手に入れたからには少々彼ないし他のクズ野郎共について日記さながら書き連ねるのも悪くない。そう思い筆を取った次第である。
しかしながら海ちゃんの話を書くからには本人に一応確認を取らねばならない。あまりそういったことを気にするタイプではない彼だが、念の為どこまでの話なら書いても良いか連絡を取ってみた。
すると彼は難しそうに唸りながら、渋々といった様子でこう答えた。
「住所とフルネームまでなら良い」
彼は怪物である。
つづく
あと明日4コマあげます。
童心
今日はたまたま姉が有休だったので一緒にゲームをした。
Nintendo Switchでほぼ無料でスーパーファミコンのゲームができることに感動してしまった。
姉は元々テレビゲームなどをしない正確なのだが、私と年が離れていることもあり、クリアできなくては癇癪を起こしていた私を困ったように見ながら、「お姉ちゃんが仇をとってあげるね」と四苦八苦してくれていたものだ。
しかし大人になって一緒にやってみると私のほうがうまい。明らかにうまい。ずっとゲームなんてやっていなかったから姉自身が下手になった可能性もあるかもしれないが、それにしても、姉ちゃんは俺のためにあのクソどくどくタワーをクリアしてくれていたのか…
なんとも言えない一抹の侘しさと暖かさが、胸に去来した気がした。
両親はそんなアラサーの姉と子供部屋おじさんを冷ややかな目で見ていた。