お金の価値
電子マネーが台頭してきた近代社会ですが、ここでひとつそもそものお金の起源というものを考えてみましょう。
皆さんはお金、つまり貨幣の起源はなんだと思いますか?
そう、物々交換ですね。
違います。騙されたな。投げ銭をしろ。
冗談はともかく最近の、というよりかなり昔からなんですが貨幣の起源に物々交換は関わっているにしろ直接「物々交換」→デジモン進化→「ウォーグレイモン」間違えた「貨幣、つまりお金」になったというわけではないのです。
これは物々交換という制度の欠点から推察することができます。
たとえばりんご100個と金塊1Kgを交換するとしましょう。これは我々現代人からすると明らかに釣り合いの取れていない取引です。
しかしりんごを差し出した方は食料に恵まれ美しいものに価値を見出す民族。
金を差し出した方は月明かりでも干からびる大地しか持たない、いわば金に対してなんの価値も見出していない民族。
こう考えるとこの取引は公平であるように思えます。
公平であるわけがありません。騙されたな。投げ銭しろ。
りんごと金は希少性から考えて明らかに釣り合いの取れていない取引です。つまりこの場合、りんごを差し出した民族が金を持っている民族を騙したということになるわけですね。
しかし金の民族も黙っちゃいません。取引を重ねていくうちに金というものの価値が分かってくるのですね。
そうなるとりんごは困ったものです。いままでウハウハだったが取引先が見つからない。投げ銭返せ。
更に金とは違いりんご、つまり食物は腐るものです。一週間も取引相手を探していれば自分の商品は使い物にならなくなってしまうでしょう。
そこで登場するのが引換券または借用証書、つまり今日の貨幣です。
りんごを持つ人はりんごを欲しい人を探すのではなく、仲介する人のもとに商品を持っていって紙っぺらで自分の財産の証明を始めたのですね。
そう考えるとお金というものが如何に重要で、得難いものかわかるのではないでしょうか。
小学生の時分、母は私と遊歩道を散歩しながら言いました。
「お金を稼ぐのはね、それはそれは大変なことなんやで。一日中下を向いて歩いていても一円ひとつも落ちとらへん。だからあんた、お父ちゃんにちゃんと感謝して、今日はかたもみでもしたりぃな。」
私はその30秒後五千円札が落ちているのを見つけました。
あのときの母の表情はいまだに忘れられません。