えなみ教授研究室

今まで投稿したマンガとか、これから投稿していくマンガとかをちゃんとジャンル分けして乗っけていきます。

私以外私じゃないし私もまさか私じゃない

 今日はちょっと真面目な話をしてみよう。真面目と言ったら哲学である。あまりにも自然な導入過ぎて思わずソクラテスも毒杯のお代わりを申し出るだろう。
 とはいえ哲学と一口に言っても大きく分けて東洋哲学に西洋哲学。自然哲学、二元論、おちんちん派、解釈学、新カント主義…今難しい言葉の羅列においておちんちんが隠れていることに気付いた諸兄はいかほど存在するだろうか。これがサブリミナル効果である。どうです?全然気付かなかったでしょう。
 このようにまんまと私の策略に乗り、脳内に一生消せないおちんちんを残してしまった騙されやすいそこのあなた。そんなあなたにオススメなのが今回の主題ハイこれ。
 『懐疑論
 「我思う、故に我あり。」という言葉くらいは聞いたことがあるでしょう。高学歴の貴方達程度でも。はい今馬鹿にされたと思ったでしょう。そういうとこから疑ってこ。声出していこうぜ。
 まあそんな我思っちゃったデカルトですが彼は懐疑論の祖みたいな立場の人間です。それまで各々の中に持っていた考え方とか、かっこいい言い方をすると真理ってやつを体系化しようぜって言い始めた訳ですね。
 しかしそもそも真理ってなんだと思います?ハガレンだと腕とか内臓とか勝手に持ってってるけど、あいつは一体なんなんだ?
 先程紹介したデカルトは哲学者として有名ですが、実は優れた数学者でもあります。みんな大嫌いxy軸。あれ考えたのこのジジイです。
 誤解を招く言い方になってしまいますが実は数学には『真理』があります。わかりやすい例で言うと「2つの点が与えられたとき、その2点を通るような直線を引くことができる。」や「どんな自然数に対しても、その数の「次の」自然数が存在する。」。考えてみれば当たり前。小学生だって納得できる。そんな絶対的に正しい法則を数学では『公理』と呼びます。そしてこの公理同士を組み合わせて定理を作り、また定理と定理で新しい定理を作る。そうして出来上がったのがアインシュタインやらノーマンリーダスやらが作り上げた今の科学というわけです。ノーマンリーダスは俳優だったわ。
 この『公理』は家の土台どころじゃありません。例えるなら大地。万が一『公理』が間違っていれば、そこに根を張り成長してきた学問全てが崩壊してしまうのです。だから『公理』というものは絶対に正しくなくちゃあいけない。何があっても絶対に。
そしてデカルトはこの『公理』を哲学界に作り上げようとしました。それまでの哲学界は「正しさなんて人それぞれじゃん?」というのが常識。「おちんちん触ると気持ちいい!」という人もいれば、「そんなの不潔!えっ…お尻の穴…?」という人もいるわけです。それはそれで正しいのでしょう。でも『絶対的な正しさ』ではない。
しかし星の数より多い思考や事象の数々の中から『絶対的な正しさ』なんて見つけられない。ではどうするべきなのか。
 疑わしきは罰せよ。
 間違っているものなど全てぶっ壊してしまえ。
 懐疑論の魔王デカルト、ここに爆誕

つづく

次回予告
デカルト「肛門は物を入れる場所では断じてない。なに?疑う前に試してみろと?ううむ…」
ご期待ください。

 

続くというのは嘘だ。